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三十八歳


 連絡を受けて病室に駆けつけると祖父の指が微かに動いた気がした。父と母、そして僕は椅子に腰掛けて病室の天井を見つめ続ける祖父を眺めていた。

「そろそろ行くね」

 しばらくして、僕たちはその場をあとにする。

「ちょっと待ってろ」

 何を思ったのか父は病室に戻った。一時間くらい経っただろうか、待合室にいた僕はしびれを切らして父を呼びに行く。

「俺は絶対、あんたみたいな人生は送らないから」

 病室のドアをそっと開けると父は祖父に向かってそう言った。もちろんその言葉に祖父は反論も返事もしなかったけれど。

「いたのか。じゃあ、行くか」

 父は僕に気付き席を立った。

 祖父は世界中をまわる船乗りだった。ほとんど家には帰らず、女遊びもひどい。祖母はひとりで幼かった父の面倒をみて、相当な苦労をかけられたようだ。そのせいか祖母は若くして大病を患い、それがきっかけで祖父は船乗りを辞めた。後悔の念なのか祖父はそれから自分を追い詰めるようになり、気持ちが不安定で仕事もままならなかったという。

 苦労をかけられたのはわかるけど、病の床につく祖父に向かって、もう数日しか生きられない自分の親に向かって、父はなぜあんなことを言ったのだろう。

 病院から家まで車を走らせる途中、助手席の父は深いため息をついた。

「お前、さっき聞いてただろ」

「まあね」

「おやじは結局、やりたいことを投げ出した。お前はそんな人生送るなよ」

 僕は返事をしなかった。数分後、沈黙に耐えきれないのか後ろに座る母が「今はそんなこと言わないで」と、か細い声でつぶやく。

 僕からすれば父は祖父とよく似ている。家庭は顧みないしすぐに手は出る。女遊びやギャンブルもよくやっているし。でも父はこれまで何度事業に失敗してもやりたいことへの執着はすさまじいものがあった。

 ある部分ではものすごく軽蔑しているけど、ある部分ではものすごく尊敬している。相反する気持ちがぶつかって僕はとうとう家に着くまで父に何も言えなかった。







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