二十二歳
うす暗い店内に足を踏み入れカウンターに座り、いつものように深煎りの珈琲を注文する。
「先週、会社を辞めるって言ってたけど、やっぱり言えませんでした」
あるとき友人にこの店を教えてもらった。なんでもここの店主は迷える人の背中を押してくれるそうで、入社早々に仕事でやらかした私は恐る恐るそのドアを開けた。
「今の連続が未来になるわけだよ。だから今この瞬間をよいものにすれば自然と未来はよくなるよ」
初めて行ったにもかかわらず、友人が言うとおり、店主は私の悩みに耳を傾けてくれた。気だるそうだし、どの会話も「わかんないけど」と前置きするけれど、次々と繰り出される核心を突くような言葉に私はどんどん引きこまれた。それからは毎週のように店に通い、完全に心を許した私はこれまでのことや今抱える悩みなど店主になんでも打ち明けるようになっていた。
「わかんないけど、家族とあんまりうまくいってないでしょ」
ある日、店主にそう言われてハッとした。思い当たる節がある。私は思春期になって以来、家族との関係がまあ悪くて、ここ数年は実家にも帰らず連絡さえも取っていない。
「まあ、そのままの関係でもいいけど、これから先、自分に家族ができてもまた同じ家族みたいになるよ」
「そうなんですかね。それ、ちょっと気にはなってたんですけど」
「今の悩みを家族に伝えてみたら?」
「いや、そんなことしたことないですし」
「わかんないけど、なんか変わるかもしれないよ」
帰り道、さっきの話が妙に引っかかった。中学三年だったな。近所がざわつくほど母と大げんかして、それから家族に何も期待しなくなった。とはいえ、ずっと疎遠な家族の存在が心のどこかで引っかかっていたのは事実だし。でも、やっぱり悩みを打ち明けるのはちょっと無理かな。
モヤモヤしている間に家に着いた。散らかる部屋を片付けながら、どうしてもあの話が頭から離れない。私は手を止め、勢いで母に電話をした。
「どうしたの急に。元気なの?」
あんなに嫌いだったのに久しぶりに耳にした母の声にほっとする自分がいた。少し緊張しながら私は十数年ぶりに母に悩みを打ち明けた。
私の次の記憶へ
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