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あなたの人生を物語にします。



 あなたの人生を綴る物語があるとしたら、そこにはどんな出来事や感情、人物や風景が綴られるだろう。


 人生を振り返るインタビューをもとに、あなたの忘れられない記憶や、忘れたくない記憶を一つの物語にします。


【内容】
・二時間程度のインタビュー(オンライン可)を行い、あなたの人生を振り返っていただきます。

・インタビュー内容をもとに、こちらで一つの物語を執筆します。

・物語を文庫の見開きレイアウトにしてデータでお渡しします。
【価格】
・あなたが納得した金額を、物語をお渡した後にお支払い下さい。
 ※金額が決められない方はこちらから推奨料金をお伝えすることもできます。
【納期】
・インタビューから三カ月後を予定
【備考】
・インタビュー内容をもとに架空の物語として執筆いたします。
・文章内容のご提案・ご修正はお控えください。


【参加方法】
・申し込みはこちらのフォームから(先着五名)

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【サンプル】

あとがき

 
 ネタバレをする。

 四人の男性と四人の女性にインタビューをした。テーマは(A)「あなたの子ども時代」、(B)「人生の半分くらいの歳」、(C)「最近」の忘れられないこと。

 その会話をもとに物語にしたのがこの展示であり、ここにある二十四のエピソードは八人(展示の左半分が女性四人・右半分が男性四人)の記憶を組み合せたものだ。

 数年前、知人から、「アイスランド人の十人のうち一人は、生涯に一冊は本を出版する」と聞いた。しかも、一般市民の自伝や伝記が書店に並び、それが人気のコーナーだという。それを知った僕は驚きと共にめちゃくちゃ感動してしまった。

 大人になってからだろうか、僕は初対面であってもその人の生い立ちを聞いてしまうようになった。目の前の人は、どういう生き方をしてここにいるのか。今ではそれが僕の最大の関心事であり、それを知れば知るほど「人生って面白いなあ」と心が弾むのである。

 この展示は、今年の四月に横浜で行った展示『線と点』の発想を膨らませたものだ。今回と同様にインタビューをして、それをせっせと物語にしたのだが、それは僕にとって、「一生楽しめるものを見つけてしまった」というほどの喜びと発見があった。

 そして、今回のもまたかみしめたのである。

 誰の人生にも物語があるのだと。

 
 ここで、この展示のさらなる楽しみ方を紹介する。

(一)八人それぞれの正しい人生を妄想してみる。

(二)この展示は前述した年代(A・B・C)ごとに物語を入れ替えても成立するように制作した。その組み合わせは男女合計で百二十八通りに及ぶ。すべてを読み終わると、百二十八人の人生が垣間見られるはずだ。
 

 さまざまな人生を想像することで、あらためて人生の面白さを、そして何よりこれを読むあなたの人生も、かけがえのない一つの物語なのだと感じてもらえたらうれしい。

 性の多様性が叫ばれる時代。前作、今作と制作上の理由から男・女とわけたのだが、今後はさらなる視点をもって、さまざまな人生を追いかけていきたい。



あなたの人生を物語にします(先着五名)

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三十四歳

 
 教員免許を取っておいてよかった。

 数年前、若くして県知事に当選した元議員に感化され、単純だけど僕も社会を変える人間になりたいと思った。ただ総理大臣なんて大それたことを目指すほどバカではない。自分の身の丈に合う選択肢として教師が浮かんだ。

 まあ、教師が教えられる人数などたかが知れている。けれど生徒が僕の思いを下の世代に繋げていくことができれば少しずつ意思の裾野が広がり、自ずと社会はよくなるはず。漠然とそう考えていた。

 鉄は熱いうちに打つのがいい。僕は転職活動をぱたりとやめ、地元に帰り教員採用試験の準備に入った。その年は例年にはないほど教師の定年退職が続いたようで、僕は運良く試験に合格。地元の高校に配属された

 ようやくこれからスタートする。そう意気込んだけど現実は全く甘くなかった。終わることのない仕事に追われ軟式テニス部の顧問で休日もない。

「おい、お前のクラスの佐藤、補導されたみたいだぞ」

 生徒に問題が起きると完全に予定が狂う。それにイライラして、生徒より僕の方が授業に集中できない日もあった。

“教師ってマジ無理”

 帰りの電車でそうツイートした。僕のタイムラインが“教師なんてつまらない”アピールで埋まる。こんなの誰も知りたくないし。そう思いつつも手は動き続けた。

「これ、先生でしょ?」

 部活中、生徒がスマホの画面を見せてきた。僕のツイートだった。

「そんなのやるわけがないから」

「うそだ。だってこの前の試合会場がここにちょっと写ってるもん」

 十七歳に翻弄される三十四歳の自分。

「いや、違うから」

 生徒は「絶対うそ」と言いながら練習に戻った。僕は部活が終わってもしばらく心のざわつきが消えなかった。

 帰りの電車。ツイッターのアカウントを消そうとスマホを取り出すと、ツイッターに一通のメッセージが届いていた。

「これ、先生だったら読んで下さい。最近はちょっとイライラしてたかもしれないけど、少し前の『俺、世の中を変えてやるぞー』って感じ好きでした」

 画面を消したくなるほど恥ずかしかったけど、僕は何度もそれを読み返した。







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二十二歳


「私たちはエリートです。くれぐれも足を引っ張らないように」

 入社式。大ホールに社長のあいさつが響き渡る。どこで間違ったのかエリート集団に僕は足を踏み入れてしまったようだ。同期は超有名大学の出身者しかいない。最終面接で間髪入れずに言葉をまくし立てたことが功を奏したのか三流大学出身の僕は場違いなこの会社に受かった。

「それにしてもキモいな」

 社長が「エリートだから」なんて堂々と言う会社ってどう考えても異常だろ。そう嘆いてみたものの誰も共感してくれそうにない。

 ところが数カ月も経つと僕は会社の雰囲気に流され、自分がさも優れているかのように振る舞う人間になっていた。

「少し勉強してこい」

 二年目の春、内示が出た。僕は取引先に出向するように言われた。下請けとも言える会社になぜ俺が行かなきゃいけないのか。そんなふてくされる気分を悟られないように「はい、頑張ります」と上司に言った。

 予想通り新しい職場はとにかくつまらなかった。アットホームな会社と紹介されたが、ただただくだらない世間話をしてはゲラゲラ笑っているだけ。だからいいように使われるんだよ。そう思うほど、ここにいる自分が情けなくなる。

「部長、これ間違ってますよ」

 僕は上司を上司とも思わず、まわりも全く信頼せず、早く元の場所に戻りたいとだけ考えていた。

「おい、ちょっと。これ」

 ある日、部長に呼ばれた。僕の企画書が気になったという。

「いやいや、部長が間違ってますよ」

「何? 前から思ってたけど、なんだその口の利き方は。ちょっと来い」

 別室に連れられた。部長は部屋に入るなり僕の企画書をテーブルに広げ、「よく見ろよ」と次々と企画の穴を指摘した。

「あっ、そこは」

 言い訳も出ないほど僕は動揺していた。恥ずかしくて頭に血が上る。

「少しは見直したか。お前の思っていることはよくわかる。俺もあの会社にいたからな。まあ、これも勉強だな」

 僕の社会人がようやく始まったような気がした。







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十二歳


 学校が終わると近所の祖父母の家に向かい、よく祖母と過ごした。一緒にテレビを観たりお菓子を食べたり、たまに漢字の宿題をすることもあった。

「じゃあ、二十四番は?」

「高橋由伸」

 祖母はプロ野球のジャイアンツが好きで、僕は祖母の手帳にびっしりと記された選手の背番号と名前をもとにクイズを出し、祖母はいつも正解した。

 共働きの親の元で育った僕のそばには、いつも祖母がいてくれた。僕のわがままにも「はいはい」とたいていのことは許してくれたし、親には内緒でよくお小遣いもくれた。夕方、母が迎えに来たときは僕たちが見えなくなるまで手を振ってくれた。

 小学六年の春、祖母が入院した。その頃になると僕は学校が終わると友だちと遊ぶようになり、祖父母の家に寄りつかなくなっていた。

 週末、親に連れられお見舞いに行く。病室のドアを開けると祖母はうれしそうな顔で「よくきてくれたね」と言い、体を起こした。母は買ってきた色とりどりの花を花瓶に挿す。

「早く元気になってね」

 そう言ってみたものの退屈だ。この時間があまりに苦痛で、僕はとにかく早く家に帰りたかった。祖母はまだいてほしそうだったけど。

 その日の夜、母から祖母はガンでもう少しで亡くなると聞かされた。

「早く用意して。行くよ」

 祖母の様態が急変したようで家族で病院に向かう。病室に入ると祖母は意外にもとても元気だった。でもなんだか様子がおかしい。祖母は母に気付いたが全く見当違いな名前を呼んだ。

「モルヒネを……」

 病室の隅でそんな声が聴こえた。ぞろぞろと親族が集まり、相変わらず祖母は全く見当違いの会話を続ける。しばらくして祖母は僕に気付き、こっちこっちと手招きした。おそるおそる近寄ると祖母ははっきりと僕の正確な名前を呼び、僕をそっと抱き寄せた。

「おばあちゃん、やめてよ」

 僕はみんなの前だからと恥ずかしくてその手をほどいた。

 結局、それが祖母と交わした最後の言葉になった。







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四十一歳


 父が仕事でほとんど家にいない環境が影響していたのか五つ歳上の兄は、僕の面倒をよく見てくれた。長男と言うより父親に近い存在だったかも知れない。勉強はできないけどいろいろ頼りにしていた。

 そんな兄は数年前に結婚。しばらくすると急に会社を辞め、何を思ったのか家族を連れて徳島に移住した。なんでも小さな珈琲屋を始めるという。そんなに珈琲が好きなのだろうか。まあ、僕がそれに何か言うつもりもないけど。

「こっちに遊びに来るか?」

 兄からのメールに、僕は「今は忙しいから、落ち着いたら行くよ」と返信した。最近までお互い東京に住んではいたものの、もう随分会っていない。なんで移住したの? そう聞いてみたかったけど、なんとなく面倒くさくてやめた。

 数日前、法事で実家に帰った。久しぶりに会う両親は、想像以上に年老いて、というか、もはや初老で少し引いてしまった。

「久しぶりだな。いつ徳島には来るんだよ」

「まだ、ちょっと忙しくて」

 法事が一段落つき、兄と近くの居酒屋に出掛けた。適当に酒のあてを頼んで、ビールで乾杯する。

「最近、なんだか腕がまわらなくて」

「それ、ただの四十肩だろ」

 中年になるとどんな会話だろうと、結局、健康の話になる。

「それよりおやじとお袋、もう老人でびっくりしたよ。悲しくなったというか。兄貴、この家どうするの?」

「ああ、それな。俺、ここには帰らないことにしたから」

 その言葉に僕は驚いてしまった。

「何それ、あれだけ『この家は俺のものだから』って言ってたじゃん」

「いやいや。もう長男がどうとかいう時代でもないだろ」

 てっきり兄が親の面倒をみると思っていたから、ちょっとムカついてしまった。何度も「俺のものだ」って言ってたのに。

「だったら、親はどうするんだよ」

「俺とお前で面倒みたらいいだろ」

 いきなり重たいボール渡された気分だ。でも「そんなの長男がやるもんだろ」と言い返すことは、なんだか間違いなような気もする。

 僕は「まあ、そうだよな」と苦笑いをして、ぬるいビールを一気に流し込んだ。







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十九歳

 
 サークルに入って、夏は川でバーベキューして冬はスノボー。

 大学受験を前に僕は妄想していた。一応、進学校。まわりと同じように何の疑問も持たずに受験勉強を始めた。

「あの大学ってオシャレそうだからいいよな」

「俺もそこ狙ってるんだよね」

 三年間同じクラスの上坂と、いかに大学生活をエンジョイできるかについて話し合う。少し面倒くさい部分もあるけど上坂は気の合ういいやつだった。

 浮ついた気持ちのままいよいよ受験シーズンが到来した。結果むなしく、僕はどの大学にも受からなかった。憧れのキャンパスライフが遠のく。気が乗らないけど自動的に僕は浪人を決めた。春、近所の予備校に行くと上坂がいた。

「四年目もよろしくな」

「よろしく、じゃねえよ」

 また上坂とのくだらない生活が始まった。僕たちは、授業はそこそこにして街へと繰り出し、ファミレスや映画館、たまにゲームセンターで時間を潰した。

 ところが夏のある日から杉山はぱったりと予備校に来なくなった。それでも僕は相変わらず授業にはほとんど出ず、ダラダラと過ごしていた。でもやっぱりつるむ相手がいないと楽しくない。僕はしびれを切らして上坂に電話をした。

「お前、最近どうしたの?」

「ごめん、ごめん。俺、大学行くのやめるわ。美容師になろうと思って」

「はっ、何言ってんの? 大学は?」

「行かないことにした。お前は勉強頑張れよ」

 冷静に話す上坂の口調に、本気なんだと感じた。電話を切り、僕はしばらくその場に立ち尽くす。当たり前に大学に行くことだけを考えていた僕に、上坂から「お前は何がしたいの?」と突きつけられた気分だった。

 なんだか家に帰る気にもなれない。僕はファミレスに寄って、新品同様のノートに片っ端からやりたいことを書いた。医者、芸能人、チェスの選手、F1レーサー、意外とサラリーマン……小学生が書くような夢しか思いつかなかい。ふと楽しそうに髪を切る上坂の姿が目に浮かんだ。なんであいつは「これだ」って決められたのかな。

 数時間後、テーブルには数十個の夢が並んだ。

「運命の分かれ道」

 僕はノートにふわっと浮かびあがる一つの職業に丸を付けた。







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九歳


「おい、ブタ! 早く来いよ!」

 幼い頃、僕は太っていた。小学一年生で体重が四十キロ明らかに肥満児だけど、その自覚はなかった。というか、そうやって悪口を言うやつらを「俺はお前らとは違うんだ」と見下していた。

 幼い頃は両親に大切に育てられ欲しいものは何でも手に入った。家にはたくさんのお菓子が用意され、満腹になるまで口に運んだ。兄も同じように育ち、僕たちはまわりから見るとよく似たふたりだった。

 母は教育に熱心な人で、僕が物心つく前から二つの塾を掛け持ちさせた。その甲斐あってか、小学生になると退屈になるくらい勉強ができてしまい、まわりのダメさをバカにした。

「おいデブ!」「お前、ムカつくんだよ」

 高飛車な僕は、自分がいじめられているとは思わないほど鈍感な性格だった。けれど仲間外れに合い、暴力を受けるようになってからはさすがに苦しい。でも「そのくらい平気だ」と無理やり自分を保とうとした。

「あなたは立派になるのよ」

 兄は出来が悪く、代わりに僕が母の意思を継ぐ希望の存在とならなければいけなかった。その期待を感じれば感じるほど、いじめられているなんて言えるわけがない。ふと橋から川に飛び降りようとしたこともあったけど、それでもなんとかその場をやり過ごした。それも母は全く知らない。

 四年生になると誰も僕を「ブタ」とか「デブ」とか言わなくなった。それはみんなが僕を完全に無視するようになったから。そこまでくると、なぜ自分が生きているのか、何を救いに生きていけばいいかもわからなくなる。とにかく波風が立たないようにして、ひたすら時が過ぎることだけを考えていた。

「ねえ、ちょっとやりすぎだよ」

 ある日、クラスメイトの加藤がいじめの主犯格にそう言った。

「なんだよ、うるせえな。お前もいじめるぞ」

「うっせえな」

 状況が掴めない僕をよそに、加藤は僕に「もういいよ。あっち行こうぜ」と言って教室から出て行った。

「なんだよ。お前、加藤に付いて行くのかよ」
 僕は少し迷いながらも、勇気を振り絞って教室を飛び出した。







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三十八歳


 連絡を受けて病室に駆けつけると祖父の指が微かに動いた気がした。父と母、そして僕は椅子に腰掛けて病室の天井を見つめ続ける祖父を眺めていた。

「そろそろ行くね」

 しばらくして、僕たちはその場をあとにする。

「ちょっと待ってろ」

 何を思ったのか父は病室に戻った。一時間くらい経っただろうか、待合室にいた僕はしびれを切らして父を呼びに行く。

「俺は絶対、あんたみたいな人生は送らないから」

 病室のドアをそっと開けると父は祖父に向かってそう言った。もちろんその言葉に祖父は反論も返事もしなかったけれど。

「いたのか。じゃあ、行くか」

 父は僕に気付き席を立った。

 祖父は世界中をまわる船乗りだった。ほとんど家には帰らず、女遊びもひどい。祖母はひとりで幼かった父の面倒をみて、相当な苦労をかけられたようだ。そのせいか祖母は若くして大病を患い、それがきっかけで祖父は船乗りを辞めた。後悔の念なのか祖父はそれから自分を追い詰めるようになり、気持ちが不安定で仕事もままならなかったという。

 苦労をかけられたのはわかるけど、病の床につく祖父に向かって、もう数日しか生きられない自分の親に向かって、父はなぜあんなことを言ったのだろう。

 病院から家まで車を走らせる途中、助手席の父は深いため息をついた。

「お前、さっき聞いてただろ」

「まあね」

「おやじは結局、やりたいことを投げ出した。お前はそんな人生送るなよ」

 僕は返事をしなかった。数分後、沈黙に耐えきれないのか後ろに座る母が「今はそんなこと言わないで」と、か細い声でつぶやく。

 僕からすれば父は祖父とよく似ている。家庭は顧みないしすぐに手は出る。女遊びやギャンブルもよくやっているし。でも父はこれまで何度事業に失敗してもやりたいことへの執着はすさまじいものがあった。

 ある部分ではものすごく軽蔑しているけど、ある部分ではものすごく尊敬している。相反する気持ちがぶつかって僕はとうとう家に着くまで父に何も言えなかった。







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二十六歳


 スマホを開くと朝四時だった。今日もダメか。

 数日前から全く眠れない。昨日の夜は「安眠できる音楽集」なるものを聴いたが、全く効果はなかった。

 まあ、その理由はわかっている。仕事のストレスからくる不眠だ。この春の人事異動で会社イチの荒くれ者が僕の部長になった。噂は聞いていたけど、ここまで感情に左右される人は今まで出会ったことがない。僕も同僚も一気に縮こまり耐えるだけの時間が始まった。

「バカ野郎、ちゃんと考えろよ」

 温和な空気の流れる日々が懐かしくなるほど、毎日のように罵声が社内に響き渡る。何かのしゃくに障ったのか、ある日を境に部長は仕事の内容ではなく僕の人格否定をするようになった。容姿や言動、趣味や嗜好までも。僕は自信がなくなり自分を追い詰めていく。

 そして数カ月後、突発性難聴になり眠れなくなった。

「ちょっとテストをしてみましょう」

 精神科のカウンセリングルームで、僕と同い年くらいの女性が問診票を見ながらそう言った。別室に移動し、言われたとおり何十項目もある質問に黙々と答える。その一時間後、再び元の部屋に呼ばれた。

「鬱の一歩手前ですね。不安の数値が非常に高いです」

「不安ですか。その原因はわかってるんですけど」

「そうですか。じゃあ、また次のタイミングでそのお話を聞かせてください」

「えっ、今日は聞いてくれないんですか?」

 流れ作業のように僕はその場からはじき出され、何も解決しないまま次回の予約を取らされた。イライラしながら会計を済ませ出口に向かう。すると見覚えのある姿が目についた。声が枯れるまで僕を怒鳴りつける、あの部長だった。

 反射的に体の向きを変え、 僕は足早に病院の奥の方まで進む。

「なんであいつがいるんだよ」

 心臓が急にバクバクする。僕はしばらくトイレの個室で落ち着くのを待った。

 それから数週間後、部長は突然会社に来なくなった。なんでも数年前から心の病を抱えていたという。やっぱり。あれは部長だったんだな。
 ガランとした部長の席からは、もう何も聞こえない。あれだけ悩まされてきたのに、僕は部長のことが心配になってしまった。







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