二十九歳
僕の一目惚れだった。
「来月、うちで『タイ料理合コン』やるけど、どう?」
よく通うカフェの店長から何やらあやしげな誘いを受けた。タイも好きだし、タイ料理も好きだけど、ちょっと人見知りだから合コンと言われると妙に緊張してしまう。僕は「行けたら、行きます」と中途半端な返事をして席を立った。「タイ料理合コンって」と心でツッコミを入れながら。
結局、僕はそのあやしげな会に参加した。店にはいくつものタイ料理や酒が並んでいた。僕はパッタイとビールをテーブルに置き、まわりを見渡す。やっぱり場違いだな。来るんじゃなかった、とゆっくりため息をついた。
「それパッタイですか? 私も好きです」
そう話しかけてくれた人が、今の僕の妻だ。世の中、何があるかわからない。
「洗濯物、片づけるって言ったじゃん」
「いや、今は無理だから」
「だったらいつやるんだよ」
お互い実家暮らしだったこともあり、結婚して一緒に暮らすまでは彼女がこれほど家のことをやらない人だとは知らなかった。僕が少し家を空けると途端に散らかってしまう。
「あんなにズボラなら先に言ってほしかったっすよ」
あの合コンを企画した店で僕は店長にグチをこぼす。
「そんな子だとは知らないし。でも、あの子いい子だよ」
「まあ、そうですけど……。僕が何度言っても直らないんですよ」
「でもさ、人の性格なんて簡単には直らないものだから、あの子を直せるって思うこと自体、自分の思い上がりじゃない?」
「それはないっすよ。僕はただ彼女をよくしたいだけで」
「彼女がどう思ってるのか聞きもしないで?」
少し酔ったのだろう、少し言い合いになってしまった。
自分の思い上がり? 帰り道、その言葉を思い出した。ふたりの暮らしをよくするためだと思っていたけど、僕の単なる押しつけなのだろうか。ぶつぶつとつぶやきながら家に着くと、妻が出迎えてくれた。
「おかえり。前においしいって言ってたケーキ買ったから一緒に食べよう」
彼女は僕なんかより純粋に、相手のことを思っていた。まだ少し酔っているのだろうか、やっぱり彼女が好きだと思った。
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